エタイさんについて

冤罪と戦うアライさん/自己肯定感を得たいアライさん

2019年7月、エタイさんは「冤罪と戦うアライさん」としてアライさん界隈に入ったのだ。

当時エタイさんは失恋に打ちひしがれていたのだ。相手とは決別したのだが、この決別が理由で相手に警察に通報されるという意味不明な暴挙により、ストーカー冤罪の濡れ衣を着せられてしまったのだ。そしてその屈辱を晴らすべく、アライさん界隈に入って自らと向き合うことにしたのだ。

のちにこれが恋愛依存症の症状であることが判明したほか、アライさん界隈での揉め事により性依存症を診断されるに至り、現在は自助グループで治療しているのだ。そして「エタイさん」の名前はそのままに、「自己肯定感を得たいアライさん」として病気からの回復に邁進しているのだ。

エタイさんの生育歴

エタイさんは東京都足立区ちほーで生まれ、埼玉県ちほーで育ったのだ。

幼稚園に入る前から様子が普通の子供とは違ったらしく、どこか虚ろだったそうなのだ。それが小学校に入ったときに担任やクラスメイトの目に付き、学年中の女子から徹底的にいじめられて、弱冠6歳にして重度の女性不信になったのだ。そして9歳で性の問題行動に手を染めて警察に補導されたことを理由に両親に人格否定されて家にも学校にも居場所をなくし、休日は自転車で遠くの町に出かけてエロ本を立ち読みすることが唯一の楽しみだった、そんな小学生時代を過ごしたのだ。

中学生になってもいじめは続き、その後遺症で高校時代も性の問題行動も止まらなかったのだ。この頃の問題行動は主にレンタルビデオや書店のR18コーナーに制服で堂々と立ち入るとかだったのだが、立ち読みするエロ本がマニアックなものばかりだったのだ。中高に進学しても居場所はどこにもなく、休日はどんどん遠くへマニア本立ち読みの旅にすべて費やしていたのだ。

大学時代や社会人になってからも、一時期は人間関係に恵まれたのにいつも孤独だったのだ。大学1年の最初の半年でバイトの面接に13回連続で落ち、就活は卒業1週間前まで内定0だったのだ。新卒で入社した会社が倒産すると、就職が全く決まらずフリーランスとして仕事することを余儀なくされ、一時期やっていた警備員のバイトではパワハラも受けていたのだ。そして自分の心の居場所を求めて、問題行動に人生を賭けていたのだ。

そのうち、エタイさんは何かがおかしいと思っていたのだが、35歳にして「自分はもしかして発達障害ではないか」と思いメンクリを受診すると、やはり発達障害だったのだ。この頃になると問題行動が恋愛にも影響が出始め、上記のストーカー冤罪となったのだ。そして救いを求めてアライさん界隈に入り、性の問題行動の過去をカミングアウトしたことがきっかけでとある人物と揉め、性依存症を診断されるに至ったのだ。

自助グループでのエタイさん

エタイさんは現在、性依存・恋愛依存・摂食障害の自助グループに繋がり、週4回ミーティングに参加しているのだ。アノニマスネームは別名なのだ。

12ステップを実践して回復を続け、性依存症のグループではチェア(代表者)としてグループに奉仕しているのだ。そして2022年のコンベンションではありがたくも依存症からの回復について登壇させて頂いたのだ。性の問題行動は2023年9月現在まで約3年止まっているのだ。恋愛の問題行動も同じくらいのソーバー(しらふ)なのだ。

グループの運営側として、いろいろお手伝いをさせて頂いているのだ。そしてグループの仲間のみんなに助けてもらっているのだ。そんな仲間のために、エタイさんはもっと愛を捧げて活動を頑張らなくちゃと思うのだ。

一般社会でのエタイさん

普段のエタイさんは、市の非常勤職員として交通指導をしているのだ。回復が始まってからは、交通安全のコンクール入賞や警察からの表彰などの実績も増えつつあり、理事もやらせて頂いているのだ。昼間の仕事は自転車でフードデリバリーが主なのだが、以前は動画の仕事をしていたのだ。

昔からの趣味は鉄道なのだが、そのほかに自転車趣味で推しのメーカーのオーナー同士の繋がりがあるのだ。また、推しの漫画家(今は政治家)繋がりのコミュニティで長年の繋がりがあり、長いつきあいの人が何人もいるのだ。回復してからオフ会にも顔を出せるようになってきたのだ。

繋がりを増やしていけるようにしていこうと思うのだ。